院長 押小路 康忠
プロフィール
1962年6月 東京都港区出身 AB型 よく「本名ですか?」とか「指圧にぴったりの名前ですね!」「芸名?」とかいわれますが、(以前は指圧のみをやっていましたので・・)もちろん本名です。東京出身です。
よく整体の仕事を選ばれた方にその理由を聞くと、実は自分が腰痛もちで、良い治療師に出会い、それが治った経験からこの道に入られた・・という方が多いようです。
実は私は肩こり、腰痛はまったくなし、怪我や事故の武勇伝もありません。
かつてこの仕事を始めたばかりの頃、あるところで働いていたときその話をすると、そこの経験豊かな施術者である責任者の方に、「君はこの仕事にないね。やはりコリの辛さがわからないとね」と言われたこともありました。
体の辛くて来院される方にこんな話をすると、なんだか信用をなくすような感じがしますし、いやみに聞こえますので、 適当に話しを合わせてホントにつらいですよねぇとか言ってますが・・
まあようするにこの仕事に入ったのに直接の動機なし、使命感なし、つまり生まれながら決まっていたという感じです。
これはもう前世からの約束、天職と思っています。
ちなみに天職は英語ではnatural callingというそうです。なんか自然の呼び声って感じでカッコイイですよね。
二十代の頃から体のことに興味があり、各種民間療法、代替療法を学んだり、体と心に関するセラピーを体験したりしていましたが、いつの頃からら体にかかわる仕事をしてみたいという思いが強くなりました。
とりあえず、まずはきちんと国家資格を取ったほうがよいかと思い、指圧の専門学校に入りました。
なぜ指圧を選んだのかというと、故増永静人著「スジとツボの健康法」という本を、たいへん面白く読みかつ感銘を受け、治療の勉強をするなら指圧がいいぞっと勝手に思い込んでいたのです。
学校はあのマリリンモンローに指圧したことでも有名な、浪越徳次郎先生が校長を務められていた日本指圧専門学校にしました。
残念ながら浪越先生は私が卒業した翌年にはお亡くなり、ご存命中の最後の卒業生となってしまいました。最近は、若い世代の方々の中には、浪越先生といってもご存知ない方もけっこういらっしゃるようですね。
当時はの東洋医学系の学校の倍率はけっこう高く、試験場でも随分応募が集まるもんだと思いました。
そういえば面接試験の時、浪越徳次郎先生が面接の先生の傍らにおられて、入学希望者の親指をチェックされていました。
入学した時はすでに30を過ぎた遅いスタートと思っていたのですが、 いざ入学してみると、自分の年齢はクラスでは真ん中ほどでした。
高校を新卒の方から、サラリーマン、70歳を超えた方まで、ほんとうにいろいろな年齢の方がいて、とても楽しく過ごすことができました。
在学中から昼間は指圧治療院で働かせていただき、卒業後はいくつかの治療院で経験を積み、指圧店の店長も経験させていただいた後、以前勤めていた職場の近くである青山に開業することになりました。
いざ自分で治療院の経営をしてみると、予想もつかなかったことばかりで、毎日が驚きとプレシャーの連続です。
お給料をもらって働いている時は、施術のことだけ考えていればよかったのですが、開業となるとそうはいっていられません。
広告や宣伝のこと、税金、ホームページやインターネットの知識、その他もろもろの雑用など初めてのことばかりで戸惑うことばかりですが、家族、友人など本当にたくさんの方々の助けを借りて何とか乗り切っています。



